先祖調査9 ~図書館は神様です~

 話はまた、最近の話に飛んでしまうが、金禄公債證書渡牒のような、先祖に繋がるような資料を鹿児島県立図書館の蔵書で発見して以来、私は目ぼしい資料を検索しては、コピーを取寄せている。しかしながら、取寄せてもほぼ全ては徒労に終わり、なかなか先祖に関わる記述に出会うことが出来ていない。だが当たりを付けて取り寄せないことには進まない。そんな感じで、コピーを取寄せていたら、大量の古文書のコピーが送られてきた。こりゃあ、さすがに読めない。私は早々に諦め、その資料達は、十分に目を通さないまま部屋の隅で眠っていたのであるが、先日、改めて見直してみた。何度見ても、古文書は読めないのであるが、その中に重要な資料が紛れていることを発見したのである。その資料の名前は、「蔵米家禄人名杪」という。明治初期に作成された郷士の家禄に関する資料のようであり、崩し文字になっておらず、私でも読むことが出来た。どのような目的でこの「蔵米家禄人名杪」が作成されたのかは分からないが、もしかしたら、交付する金禄公債を決める為に、郷士の家禄一覧を作成したのかもしれない。この辺は是非とも専門家に教えて欲しいものである。さて、この「蔵米家禄人名杪」、各郷の郷士の家禄が記載されているのであるが、ということは、もしかしたら、あの方の名前も。。。

 

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「蔵米家禄人名杪」。こんな貴重な資料が紛れていたことに気付かなかったなんて。迂闊であった。

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三石六斗。身分は「同卒」と書かれているが、どうやら郷士は「士族」ではなく、「卒族」(足軽など、ワンランク下の身分)の扱いだったらしい。

いました!造右衛門様である。また会うことが出来ました!造右衛門様の石高は、、、三石六斗。少なっ!だが、多くの郷士が三石六斗のリストに名を連ねている。恐らくは、特に少ないというわけではなく、薩摩の郷士は、概ねこの程度であったのであろう。それにしても、米一石は150kgであり、江戸時代では概ね一両に相当する。一両=十万円と仮定すると、、、まぁ、なんというか。5人家族としても、年間で三石六斗=540kgでは、とてもではないが、家禄だけでは養いきれない。武士とは言っても郷士の生活はとても厳しく、農耕などの副業をせざるを得なかったのであろう。そして、江戸時代の家禄は、通常は世襲制なので、我が森元家の先祖は代々、いつからかは分からないが、この地でこの苦しい家禄の下、世知辛く理不尽な世を生きてきたのであろう。まぁ、多くの郷士が似たような生活だったのであろうが。

 

 今回、「蔵米家禄人名杪」から先祖の家禄を知ることが出来、少しずつ先祖の生活が見えてきた。それにしても鹿児島県立図書館にはまだまだ貴重な資料が眠っているかもしれない。図書館は宝庫なのである!