先祖調査17 ~市来馬改帳~

 さて、次に目を付けた郷土資料は、「くしきの 24号」である。地元の郷土研究会が定期刊行している雑誌で、郷土資料というか、タウン誌的な感じだろうか。地元の古文書研究会の定例会で課題となる古文書を決めて、それを読解するというのが雑誌のコンセプトらしい。その雑誌「くしきの」の24号で、「市来馬改帳」という古文書が課題となり、読解されているのである。馬改帳というくらいだから、中身は馬のリストである。市来郷にいる馬をリスト化し、その素性(年齢や飼い主など)を整理することが目的と思われる。馬の頭数なんか管理していたのだろうか。中身はこんな感じである。現物はミミズが這ったような崩文字で書かれているのだろう。作成日は天明六年(1787年)十一月十五日らしい。上から「鹿毛」や「川原毛」など毛色に関する情報、次にその馬の年齢、最後に飼い主の名前、というフォームになっている。

f:id:bbbshinya:20200523001600j:plain

市来馬改帳。串木野古文書会の皆様、読解有難うございました。

 姓がある人は、武士(郷士)であり、農民と思われる人は、姓は無いが、その代わりに「濱之」や「中園之」といった感じで、頭に「○○之」と記載されている。これは門割制度の門の名前である。門割という言葉は薩摩特有のものであるが、村内の農民を5~10戸程度を一単位としてまとめ、連帯責任を負わせる、いわば五人組のようなものである。それぞれの門には、例えば「濱門」や「中園門」といった固有の名前が付けられている。さてこの改帳、じっくり見ると、、、f:id:bbbshinya:20200523001916j:plain

覚兵衛様登場!

 新キャラ、森元覚兵衛様、登場!覚兵衛様は、「青毛」の14歳の馬を持っていたらしい。この方は我が先祖だろうか?前にも書いたが、少なくとも市来郷では、森元姓は我が家系のみと思われるので、森元覚兵衛様も我が家系の可能性が高い。そして、我が森元家の地「X地区」には、郷土資料によると、以下のような名前の門が存在していたらしい。f:id:bbbshinya:20200523002103j:plain

X地区の門 一覧(郷土史より)

 そして、馬改帳の森元覚兵衛様の近くに記載されている人達は、「内屋敷之 善蔵」「赤崎之 新右衛門」「下之 四郎左衛門」といった感じで、皆X地区の門の名前が書かれている。この辺はX地区の人達を記載しているのだろう。ということは、森元覚兵衛様は、住居について何も記載されていないが、恐らくX地区に住んでいたと考える方が自然である。つまりは、森元覚兵衛様は、我が森元家と同じ地区に住んでいたことになる。う~む、これは先祖の可能性が高いと言っていいのではなかろうか。天明六年。作左衛門様の父であろうか。

 

 ちょっと脱線。明治になり、農民も姓を持つようになったが、多くの人は門の名前をそのまま姓にしたらしい。鹿児島県鹿屋市の横山町というところには、かつて「森元門」という門が存在しており、今でもある地域に森元姓が密集しているらしい。なぜ市来には、森元は“ぽつんと一件”なのだろう?もしかしたら、ずっと昔に、この森元密集地から移住してきたのだろうか?どんどん課題の難易度は上がっていくが、いつの日か探り当てたい。とにかく今は、図書館すら閉鎖されてしまい、調査にならないのである。