先祖調査14 ~郷土愛の塊のような本を見つけた②~

 私は更に頁をめくり、読み進めた。すると今度は、同じく稲荷神社の庚申供養塔が目にとまった。庚申信仰とは、中国の道教に起源を持ち、庚申の日(60日に1度)の夜に体から虫が這い出てきて天帝に自分の悪事を告げ口するので、虫が出てこぬよう、夜通し講を開いたり、どんちゃん騒ぎしたりするという風習である。そもそもは概念というか、教えのようなものであったが、これが日本に伝わると独自の進化を遂げ、供養塔を建てたり、仏教と融合して青面金剛像を祀ったりするようになったのである。と何かの本に書いてあった。ともかく、その庚申供養塔には、、f:id:bbbshinya:20200424231635j:plain

文政七年、作左衛門様の活躍

 ああっ!ここにも作左衛門様の名前が!火鉢と手洗鉢を寄進し、庚申供養塔を建立したらしい。時に文政七年三月吉祥日。天保九年の百文寄進から16年遡っているが、連名の人達の名前を見ると、何人か同じ人もいるようである。仲よしグループだったのかな?おや?よく見ると、名前が「森元作左右門」になっている。う~ん、なんだろうね、これ。恐らく石工の彫りミスか、若しくは徳永先生の記入ミスか、どちらかだろう。律令政治時代、「左衛門」「右衛門」という名称の官位があったのだが、名前に「~左衛門」とか「~右衛門」を付ける風習が始まったのは、これに由来している。と何かの本に書いてあった。だから「左右門」なんて名前は有り得ない。左か右かどちらかである。これは私の勝手な解釈であるが、どうだろう?だが、江戸時代の人で、名前に「左右」が入っている人は一度も見たことがないし、的外れな解釈ではないと思う。これは正しくは「森元作左衛門」で間違いなかろう。

 

 そうだったのか、我が祖先は庚申信仰があったのか。う~む。やはり庚申の日は夜通しどんちゃん騒ぎしたりしたのだろうか。数少ない楽しみの一つだったのかもね。私は更に頁をめくった。すると、同じく稲荷神社に祀られている青面金剛像が目にとまった。先述の通り青面金剛像も庚申信仰に由来するものであり、この像は、享和三年(1803年)のもので、文政七年の庚申供養塔建立から更に20年遡る。幕末とは言えない程度にまで遡っている。そこには、、、f:id:bbbshinya:20200424233211j:plain

新キャラ登場か?

ん?森元平角??知らない方。。。戸籍にも登場しない。もしかして。。。私は。。。戸籍を越えたのか。。。?